2006年4月28日 (金)

大阪市中央区

このブログは、見ての通りdiaryではなくて、回想やつぶやき、そして添えられた写真の解説である。
その目的は、自分の写真がweb上でどのように映るかという興味と、自分の写真に対して客観性を持つためである。
個展向けの作品というのは、普通、数年を費やして歩き、何千回とシャッターを押し、そこから数百枚のプリントを得る。そしてその数百枚から四〜五十枚に絞り込む。
この、各過程で客観性が求められるが、いいかげん疲れてきてしまった。
前回の個展以降、次回作を撮り続けてきたが、まとまらないまま今日に至っている。結局このブログはその残滓のようなものかもしれない。

このホームレス男性に出会った瞬間、感動して、写真を撮らずにはいられなかった。
失礼のないよう、力を尽くして撮った。
その容貌はチベットの高僧のようだ。
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2006年4月17日 (月)

大阪市北区中津

ここ数ヶ月は、軍艦アパート(下寺アパート)という築75年の大型物件に取り組んでいたのでお疲れ気味である。
しかし、まだまだ撮りきれていないという後悔がある。その未練たらしい感情は、廃墟となって立ち入れないものの、それがまだそこに、相変わらず存在するという苛立ちからくるものだ。
とはいえそういう後悔が次のテーマへと向かわせる。撮影機材は、ここ数ヶ月で大きく変わったが、その方法論はより強固に、そして柔軟に変化した。その成果は近々発表できると思う。

梅田から北へ歩くと、意外に静かな住宅街とさみしい河川敷にたどりついた。
写真に撮るようなものはなにもないが、土手の上をとぼとぼ歩いて高層住宅群を望む位置に至る。
三脚とカメラをセットし、ゴッセンのメーターにマグライトをかざして喝を入れてから露出を測る。
マガジンスライドを抜くが早いか、レリーズを押す。数十秒間の噛み締めるような刹那、フィルム乳剤面の光像を透視するがごとく思いを込める。
これは、デジタルカメラになっても変わらない流儀だ。
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2006年4月12日 (水)

茨木市学園南町

ずっと以前は、ライカなどを首からさげ、トマソン的物件やら下町路地裏を縦位置で切り取っていた。
なぜ縦位置かというと、35mm判のアスペクト比(2:3)の、横位置での座りの悪さが我慢ならなかったからである。
しかし、横位置で撮るべきものも縦位置で切り取った。それは、なにか形而上学的な空間理解が反映された行為であるような雰囲気を漂わせたが、当の本人が哲学を語れないため、縦も横もないスクエアフォーマット(6×6判)に逃げることにした(笑)。
スクエア画面の求心性は強力である。ともするといわゆる日の丸構図となるが、これを避けようとするととても難しい。悩んだあげく撮った写真を人に見せて、「これ、6×4.5のほうがよかったんじゃないの?」といわれて激怒する羽目となる(笑)。

茨木市内の遅々として進まない橋梁工事。コンクリートの橋脚が連続する様子は、まるでミニマルアートのようだ。
日本全国の、人間より狐狸のほうが多いような地域にもこのようなコンクリートのマッスが乱立し、放置されていることもあると聞く。それを、いつか撮って歩きたい。
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2006年4月 1日 (土)

茨木市東奈良(2)

仕事では考古遺物や古美術品などを撮影することがある。
それらは、長年地中に埋まっていたものや、倉の中に大事にしまい込まれていたものが多いが、一様に感じることは、そのエイジングの進み方と実際の経年におどろくほど差があるようにみえることだ。
地中から姿を現した遺物は、千年を経ながらも、つい先ほどまで使われていたような輝きを保っていることがある。それに比べ、75年しか経ていないRC住宅の表面のほうが古くみえるのはなぜだろうか。

夜の遺跡というのは、基本的に立ち入りできないから、それを撮影することは難しい。それに普通は保護シートに覆われているはずである。
石灰で縁取られた遺構は白く輝き、アースワークめいた印象をうける。というよりこれは調査担当者のセンスが問われる土の作品そのものなのである。
遺跡の上に建てられた安普請のマンション。その存続期間は、遺跡と比べたら一瞬のきらめきのような儚いものだろう。儚きもの、せめて写真にとどめよう。
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2006年3月11日 (土)

大阪市浪速区日本橋(2)

旅というのは、まず高速で移動することによって生じる高揚感がある。
そして、すくなくとも日本国内ではどこも代わり映えしないはずの空港や駅前の光景さえも異化されてみえるという効果があり、それが写真家を旅に向かわせる要因ともなる。
どこかへ旅しないと写真が撮れないという人が結構いる。これでは、いくらお金があっても足らないから、わたしには許されない。
貧乏写真家は、ときにアルコールの力で視覚の異化を得ながら、大阪市内を旅する。終電があるので走らねばならないが。

下寺住宅に向かう途中で出会う、ガンダム屋の巨大看板を、無理なアオリでフレーミングしてみた。
実は露出は失敗、一絞り半は足らなかったのでスキャニングは苦労した。
しかし、そのおかげで白いガンダムが夜の街に浮かびあがった。
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2006年3月 2日 (木)

箕面市粟生間谷

夜の旧街道をバイクで走る。
撮影地に向かう為とはいえ、これはめったにしないことだ。タンデムシートにくくりつけた機材が気になってしかたない。
基本的には夜の散歩写真なので、バイクのペースはそれにそぐわない。きょろきょろしながら運転すると、事故をおこしてしまう。
自転車が理想的なのかもしれないが、試したことはない。

やがて目的地へと到着。郊外とはいえ、広大な開発地内には誰一人確認できない。
行き交う車も途切れると、完全に静寂が支配する空間になる。
目が慣れてくると足下の不安感は除かれるものの、得体の知れない恐怖感は拭えない。
荒れた地面にオブジェめいた橋脚がたちならび、やや遠くのナトリウムランプが薄く照らしている。
超広角レンズをセットして、まっすぐに、祈るように、シャッターをあける。
360秒間の露光を終えると、野犬の咆哮が静寂を切り裂いた。
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2006年2月20日 (月)

大阪市東淀川区西淡路

わたしはバイクの免許しかもっていないので、移動はおもに電車かバスだ。
乗り物から眺めるいつもの光景は、代わり映えしないものだが、冬の曇空から一瞬差しこむ斜光線は、上質のモノクロプリントを見ているようでうつくしい。
たまにカメラを取り出して車窓から外を覗いてみる。
そのムービーめいた見え具合そのものが心地よい体験である。それを一枚の写真に定着させることは、すくなくともわたしにはできない。

それは、電車が新大阪駅に停車する直前だった。
線路沿いに、なにかオモチャの家みたいなものが視線に飛び込んできたのだが、降りてたしかめることはできなかった。
後日、その場所を訪れた。そのハウスは9割がた完成しており、その材料から発する甘い香りがわたしを出迎えた。
夜間なので、家人は稼業に勤しんでいるようで留守宅だったが、隣の住人に声をかけておいた。
時間がなかったので数カット撮影したのみで引き上げた。
しばらくして再撮影に訪れると、そのハウスはもちろん、まわりのホームレスハウスも撤去されてしまっていた。

しかし、そのハウスには思いもよらない場所で再会することができた。
国立民族学博物館の特別展「きのうよりワクワクしてきた」の会場だった。
これは、ほんとにワクワクする体験だった。
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2006年2月11日 (土)

生野区鶴橋

今月号の日本カメラ誌をみてびっくりした。
例のあの場所の写真が、月例コンテストに掲載されていたから。
それは誰かが昼間撮ったへたくそな写真だったけど、どきっとした。
なるほど、写真を撮る人は反応する場所なのだなと思った。
それでまあ、別の方向で封印が解けた気がしたので、ブログに公開しようと思う。

みる人がみればわかると思いますので、
ノーコメント。
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2006年2月 7日 (火)

大阪市北区梅田(2)

その昔、貧乏人の家にはカメラなんてなかった。
そういえば、うちにもなかった。それでもアルバムはあったから、何かの折には写真館に行ったり、近所のカメラを持つ人に頼んでいたのだろう。
ゆえに一コマのフィルム、一枚のプリントが大切にされていた時代だったと思う。
それから時代がだいぶ下っても、ハーフサイズカメラの最初のコマは正月にはじまり、お花見、海水浴、運動会と一年の家族行事を大切に収め、最後のコマに次の年の正月が写っていた。
そんな笑い話みたいなものだった。
いまでもひょっこりそんな時代の写真が出てきては、その当時の記憶がおしよせてくる。

梅田のホームレスの飼い猫。
家人は空き缶集めに出掛けたので、おとなしく留守番だ。もうゴハンはもらったので、眠たくてしかたない。
実はとても暗い場所なので、10秒くらいはじっとしていてもらわなければ困る。
ピントも目測だ。しかたないので、猫たちに呼びかけた。
「じっとしててねー」「ニャー」
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2006年1月28日 (土)

堺市七道東町

その光景は、どこで刷り込まれたものなのだろう。
時々フラッシュバックのように去来した強いイメージだった。それはどこにでもあるような普遍的な光景なのだが、なかなかみつからなかった。
わたしは映画などのメディアからイメージを獲得することが多いが、それは既知の光景と無意識に摺り合わせて、予定調和的にイメージを選択しているようだ。
少年時代のように、見たこともない光景に胸をときめかすことはできないのか。

阪堺線という路面電車は、まるで浅草花屋敷のジェットコースターにのっているかのような楽しさがある。大阪市内で何度か利用したことがあったが、あるとき、終点まで乗ってみようと思った。
そして電車が大和川にさしかかり、向こう岸の駅に到着しようとした時だ。
その光景は現出した。合掌。
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2006年1月25日 (水)

大阪市中央区南久宝寺町

あれは、高校生二年生くらいの頃だった。
梅田のデパートで有名写真家の写真展があり、買ってもらったばかりのニコンを手に、そのサイン会に参加したことがある。もちろん、その図録くらいは買わねばならない。
当時わたしは、写真家というのはデパートで写真展をやって稼いでいる人だと思っていたふしがある。その頃、写真ギャラリーはカメラメーカーのサロンくらいしかなく、しかもそれはとても敷居が高かった。
そのころニコンのボディを買うと付属していた「ニコンの世界」という本を眺めては、第一線で活躍していた写真家の仕事に憧れた。
いまは、写真家を志す人にとってはいい環境になった。その表現も発表手段も自由だ。なんていっても写真を専門に扱ってくれるギャラリーがたくさんできたのがうれしい。

大阪市のど真ん中、古いビルの屋上にあるBeats-Gallery(ビーツギャラリー)は、写真馬鹿が集う、体育会系写真ギャラリーだ。
大抵のギャラリーでは、お褒めの言葉しか聞こえない。それは、自分のときにお返しがほしいからである。まるでカラオケの拍手みたいなものだ。
しかし、どんなベテランもここで個展をやるのは、コワい。ここでは写真は格闘技なのである。

ビーツは、残念ながらいまは休廊中。春にはあたらしい展開をみせてくれると思う。
こんな屋上にあるギャラリー、じつは、別の意味でも怖い。
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2006年1月21日 (土)

摂津市南別府

夜の撮影というのは、怖い。
夜歩きそのものが、最近は危険なことである。しかし、本当に怖いのは、フィルムに得体の知れないものが写っていたときだ。
鶴橋の駅からしばらく歩いたアーケードに面して商店の廃屋があった。その窓ガラスに、相当年季の入った造花が飾ってあって、造花なのに枯れ花のような美しさがあった。ここはヤバいな、と思いつつ、何度か通ったが、一度、樽井くんを連れて行ったことがあった。案の定、樽井くんのカメラが壊れた。そこでカメラが壊れるというのは、怪奇心霊スポットでのお約束である。
後日、またひとりで訪れた。わたしのハッセルは壊れることはなかったが、ファインダーを覗いていると窓ガラスの向こうを腰の曲がった老婆がふっと通り過ぎた。で、で、でたっー!!。
ようするに廃屋ではなくてバアさんが住んでいたのであった。
ここまでなら笑い話で終わるのだが、問題は写した写真である。
それは公開できない。なぜなら・・・。

街外れの市営墓地。墓場だから怖いというわけではないが、ここはほんとに怖かった。恐怖に打ち勝って撮れた六地蔵と変電所の構図は、われながら完璧と言っておこう。
しかし、なんでこんなとこ撮ったのだろうか。
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2006年1月18日 (水)

大阪市西区江之子島

関西では、怖い、汚い、下賤な、など言う意味で「ややこしい」という言葉をよくつかう。
以前は、その「ややこしい」場所を好んで撮影してきた。その取材姿勢は、時には喧嘩腰となる。なぜなら向こうもそうだからである。喧嘩はよくした。
わたしのカメラは、その操作法が本来的な意味でややこしいので、ややこしい場所の撮影には向かないが、ややこしい場所をややこしいカメラで撮ることは普通はしないことなので、本当にややこしいのは撮影者本人なのである。

この場所での撮影は、後輩の樽井くんがついてくるといったので来てもらった。めったに人物はとらないが、一分間じっとしているという約束で撮ってあげた。
ここを撮影した理由は、ややこしいので書かない。
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2006年1月14日 (土)

大阪市中央区日本橋

ずいぶん前から、週末になると梅田から心斎橋、難波、そして日本橋の電気屋街を巡っている。
中古カメラ店、写真ギャラリー、PCパーツ屋などを覗きながら、知り合いに出会ったり、被写体を発見したり、たのしいひとときである。
とはいえ、カメラバックと三脚を持ち歩きながら、一枚も撮れない日が多い。
わたしは写真を撮るのが好きかと問われれば、どうもそうでもないらしい。だから、のべつくまなくパチャパチャやっている人をみると、「そんなにおもしろいかい?」と聞きたくなる。
作品の方法論として、無意識や偶然に切り込んでいくやり方はあると思うが、残念ながらそういう才能は持ち合わせていない。

わたしは画面構成至上主義である。「うつくしい」と思える事物の配置に出会わないと、写欲が湧かない。
「うつくしい」ものには、何んらかの精神性が宿っている。
しかし、その芳香はこつ然と漂い、消え去ってしまう。
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2006年1月 9日 (月)

大山崎町円明寺

数年前、大山崎駅から建設中の大山崎ジャンクションを目指して何度も歩いた。
畿内摂津の国と山城の国の境であり、現在の県境でもあるこのあたりは、夜は天王山から雲が垂れてきて大抵雨に降られた。
国道171号線と新幹線の交差からしばらく歩くと、工事用照明に照らされたコンクリートの巨大なマッスが乱立する建設現場が見えてくるが、その直前にもうひとつ異様なランドマークを発見した。ナトリウムランプに照らされたその広告塔は、その先の光景とも相まってなにか仕掛けられた意図すら感じるが、これは単に板金屋さんの看板なのである。

薄よごれたプレハブの屋上に置かれたガルウイングのスポーツカーは、飛べない翼を嘆く鳥のようだ。
飛べない鳥が目指す天空は、今夜も晴れることがないだろう。
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2006年1月 5日 (木)

大阪市中央区千日前

千日前というのはその昔、千日墓地や焼き場、刑場があった場所だ。
1972年に118名の焼死者を出した火災のあった旧千日デパートは、いまはビックカメラになっている。
ビックカメラの近くにある三津寺の墓地は、長らくレンガ造りの高い塀で囲まれていた。
レンガ塀は一面にラブホテルなどの看板が貼られ、放置自転車の溜まり場だったから、それと気付かなかったが、2000年のある日、塀の解体を前にして、看板類がすべてはぎ取られていた。
そして現れたレンガ塀をみてわたしは驚愕した。
レンガに塗られたモルタルの上に、数十年前のものであろう、芝居小屋かなにかの大型絵看板が現れたのである。残念ながら解読不能な程に朽ち果ててはいたが、泣けてくるような美しさがあった。都市の隙間に棲む幽霊を見た気がした。

現在の三津寺墓地は、ピカピカのステンレス製の諸仏が守っている。だからそこに自転車を放置する不心得者はいなくなったかというと、反対側に移動しただけだ。
自転車をどけて三脚をたてる。人の流れが途絶え、線香が煙るのをまってシャッターを開けた。
塀の上から覗くパチンコの看板と、薬師如来に反射するテールランプは計算づくであるのはいうまでもない。
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2006年1月 3日 (火)

茨木市東奈良

昨年、10日ほど手術入院した。
術後、痛みがやわらぐと持ち込んでいた大量のポジの整理をした。ラボ袋にはいったままのスリーブを、ライトボックスでチェックしては時系列に番号をふっていく。
大切な写真が何コマもあるスリーブもあれば、クソみたいなコマばかりのスリーブもある。玉石混交のスリーブもある。
わたしはハサミを入れることはしない。ハサミを入れるときは、それを捨てるときだ。
病院には持参したポジの半分を捨ててきた。切除した胆嚢と一緒に。
もしかすると捨ててきた方が大切な写真だったかもしれない。
しかし、そのとりかえしのつかないものへの思いが、明日の写真へと向かわせる。

オレンジ色のナトリウムライトに照らされた区画整理地区は、まるで火星表面のようだ。
そして、ペンペン草よりも早く、マンションが立ち上がっていく。
赤い地面にカメラを据え、そそり立つ鉄骨が雲塊をとらえるのを待ち、シャッターを開く。
しかし、夜の雲は饒舌すぎる。
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2005年12月30日 (金)

中央区道頓堀

テレビや映画でみる特撮作品の中には、昼とも夜ともつかない不思議な世界観をみせるものがあり、それに強く惹かれていた。
そんななかで、とくに印象深いのは、ウルトラQにでてくる、ケムール人が夜の遊園地を走るシーンだ。これはすごいシュールな世界だ。
映画なら、やっぱりブレードランナーにつきる。近未来のロサンゼルスで、地球に戻ったレプリカントたち(過酷労働などのための人造人間)と、刑事との戦いを描く。レプリカントは4年の寿命。人間以上に人間的な情動をみせる彼らの、考えるとせつない物語だ。

リドリースコット監督が日本を舞台にして撮った映画ブラックレイン。そのプロットはブレードランナーである。そのロケ地のひとつがこのキリンタワービルだ。
放置自転車をかきわけ、戎橋交番の横に三脚をたてる。あとは酔っぱらいを払って撮影に集中したいのだが、なかなかうまく撮れない。
なぜならこっちも酔っぱらいだから。
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2005年12月19日 (月)

北区扇町

夜、写真を撮る。
夜盗の如く。

夜、写真を撮る。
異邦人の如く。

夜、写真を撮る。
修行者の如く。

夜、写真を撮る。
小さきものを。

夜、写真を撮る。
あるがままを。

夜、写真を撮る。
この街を。

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2005年12月16日 (金)

浪速区下寺2

わたしは団地やマンションの殺風景なコンクリートの住環境をみると、寒々しく思う。
それは、団地住まいをしたことがないせいだろう。
最近のマンションなどは、エントランスがやたらと綺麗で豪華だったりするが、それがよけいに違和感を感じてしまう。そしてもし、それが手抜き工事物件だったと判明したら、住む人の気持ちはどんなものだろうか。
しかし、好きな団地もある。

通称「軍艦アパート」。現存するのはこの下寺住宅群のみ。昭和6年というから、築65年になろうとする鉄筋コンクリート造りの集合住宅。この春には解体がはじまるだろう。
戦災や数々の人間模様が染み付いたこの物件は、わたしに言わせると、重要文化財クラス、いや世界遺産の建物である。大阪市もしょうもないことに金を使うぐらいなら、この昭和の遺産こそ保存すべきである。
できるだけ、写真に残そうと思う。
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2005年12月 8日 (木)

北区梅田

二十代のころ、朝日放送で大道具のアルバイトをしていたことがある。「部長刑事」というドラマのセットに色を塗る画工の手伝いだった。
バイト帰りは福島から梅田までよく歩いて帰ったが、JR環状線の高架下は、終戦後の荒れた雰囲気が残る場所だった。環状線沿線にはそんなところがたくさん残っていたと思う。そのころは、そんな場所を写真に撮ろうとは思わなかった。

近年、高層ビルやホテルが立ち並び、まったく変わってしまった西梅田地区だけど、阪神高速の高架下で、悠々とテレビを観ながら過ごしているホームレスに出会った。
まるで映画「マックスヘッドルーム」のワンシーンのようだ。
思いきって声をかけると、とても温厚な人物だった。その後何度か撮影させてもらったが、現在は追い出されてどこへいったか知らない。
飼っていた三匹の猫はどうしているだろうか。
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2005年12月 6日 (火)

天王寺区茶臼山2

将来、写真がすべてデジタル化されても、その本質は変わらないと思う。ただし、人間の視神経に直接デジタルデータを送り込むような、技術的なブレークスルーがないかぎり。
現状、デジタル画像は、質量化の過程を経なければ、つまり紙にプリント等されないと、銀塩でいう「潜像」でしかないという憂鬱がある。しかし、写真はもともとメランコリックな存在だったし、それが魅力ですらあると思う。
また、銀塩と違って、その場で画面が確認できるデジタルカメラのいやらしさは、ビジネスライクな効用はいうまでもないが、クリエイティブな場面においては、ある種の直感や潔さをスポイルする弊害(考えようによっては効用)がある。

寒空に露天で寝る豪快な人。わたしだったら少なくとも雨のあたらないところに布団を敷くだろう。
例のレンズゴーストで浮かび上がらせてみた。
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2005年12月 2日 (金)

天王寺区茶臼山

わたしの場合、デジタル機材の導入は1997年頃だった。
その頃登場した写真画質のインクジェットプリンターに将来性を感じて、35mmフィルムスキャナー、Windowsパソコン、MOなどを揃えた。
すべて手探りの状態で操作を覚え、写真のプリントを始めたが、「ふ〜ん、デジタルね」と鼻で笑われた。作品発表の場もなかったが、エプソンカラーイメージングコンテストの存在を知り、応募した。
その表彰イベントは華やかなものだったが、その後ここまでデジタルが隆盛するとは予想しなかった。

天王寺動物園にかかる陸橋の上に住むジプシー。本物のジプシーと違って家族はいない。
クロネコ号とわたしが勝手に命名したその小屋は、道路の清掃日には車輪をつけて移動する。
本物のジプシーカーと違ってロバはいない。
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2005年11月29日 (火)

北区中崎西

出掛けるときは、いつもカメラは持ち歩くようにしている。
使い古しのA&Aの布バッグにデジタル一眼レフとシフトレンズ。以前はこれがHasselblad ArcBodyという小型のテクニカルカメラだった。もちろんカーボン三脚は必須である。
機材フェチなのはいうまでもなく、さらにそれを機能的に改造するのが好きだ。家には小型旋盤、フライスもある、といえば、お解りだろう。

梅田からJRの高架沿いを北へ歩くと、空襲を免れた古い住宅街がひろがっている。以前は下町情緒あふれる雰囲気だったが、戦前の長屋などを改装したおしゃれなカフェやブティックもたくさんできている。
他人様の玄関を撮るのは不躾だが、家人が見当たらないのでそっと撮らせてもらった。
腐った板張りから覗く土壁が素敵だ。どうかこのままにしておいてほしい。
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2005年11月25日 (金)

門真市古川2

その後「鉄塔の街」には何回も通った。
ちょうど古川の改修工事があって、行くたびに風景が変わって見えた。
写真でみると、広々としていて一級河川並みにみえるが、もとはどぶ川である。
子供の頃、こういうどぶ川に小舟が浮かび、ゴム長をはいたおっちゃんをよく見かけた。
川底の金属くずなどを拾う職業の人たちで、河童が語源の「河太郎(がたろ)」とよばれていた。
大人たちは、あきらかにさげずんでそう呼んでいた。

この撮影は怖かった。台風の日、川に渡してある幅数十センチの鉄板の上から撮った。なぜそんな日に撮影したかといえば、雲の描写。夜景でこういう雲は、台風の時しか撮れないからだ。
この写真は、ニコンサロンのDMにも使った。
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2005年11月21日 (月)

門真市古川

住宅街の真ん中に大きな変電所がある。
それを取り巻く鉄塔の数はいくつだろうか。
その昔は、レンコン畑と田んぼばかりだったと聞いているので、あとから住宅街に囲まれてしまったようだ。
子供の頃、遊びに来たことがあったが、怪談話にでてきそうな場所だったことだけを覚えている。

何十年かぶりに「鉄塔の街」を訪れた。悩みに悩んで構図を決定する。帰りの時間を気にしながらシャッターを開けると、次から次へと車のライトが飛び込んでくる。夜景撮影で一番イライラする状況だ。
あがったポジをみると、光跡もわるくはなかった。いや、あったほうがよかったかな。
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2005年11月17日 (木)

西成区天下茶屋東

戦前に建てられたアパートは、戦後の安普請と違い、しっかりした造りで、まだまだ生き残っている。
玄関で靴を脱ぎ、ぎしぎし鳴る廊下の先に部屋がある。風呂なんかもちろんないから、近くにかならず銭湯がある。住んでいるのはほとんど老人で、これを撮影しようと思うと、長い話の相手も覚悟しなくてはならない。
築年数が長いので、大抵は無粋なリフォームがおこなわれており、文化財級のみごとな建築が見るも無惨となっている場合が多い。

大谷墓地に至る坂道に建つこのアパートは、オリジナルの状態を保つ、数少ない物件だ。
しかし、このマルフクの看板、ここぞという場所にかならず貼ってある。
写真家にとって敵のひとつだ。
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2005年11月14日 (月)

尼崎市センタープール

阪神大震災のときは大変だった。
家の方は、少し停電があっただけでたいしたことはなく、あとはテレビのニュースに釘付けになっていたけれど、しばらくして友人から救助を求める電話がかかってきた。
芦屋市まで普段ならバイクで2時間くらいの道のりだ。しかし、朝出発して着いたのは夕方だった。
途中の道のりは想像を絶するものだった。人間は興奮状態にあると、空腹も時間の経過も感じなくなる。
友人を後ろに乗せての帰り道、前方に大きな満月があがった。電力の途絶えた街で、それはひときわ大きくうつくしかった。

かつての被災地を撮り歩くのは、なぜか気が引けてしまうが、尼崎市のこのあたりは、地震の被害は意外にすくなかったようだ。
しかしこの建物、よく耐えたものである。
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2005年11月12日 (土)

東大阪市長瀬

小さい頃は母親と銭湯に通っていた。
京阪萱島駅前の、パチンコ屋のとなりに銭湯があった。映画に出てきそうな風格のある造りではなく、モルタル造りの素っ気ない建物だったように記憶している。
風呂からあがると、父親が隣のパチンコ屋にいないか覗いた。勝っている日は、なにかしらの景品と交換してくれるからだ。

近畿大学の最寄りの駅をおりると、風呂屋の煙突が目についた。初めての場所を撮影するときの目標となるランドマークだ。建物の裏手を覗くと、ちょうどボイラー屋さんが訪れていた。私がカメラを向けると、わざわざ建物の中に引き入れてくれた。ありがたい。普段撮れない構図で写真が撮れた。
光る扉は実は便所だ。うつくしい。
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2005年11月 8日 (火)

浪速区日本橋

これまで、どちらかというと世間の人はカメラを向けないだろうなというものをよく撮ってきた。
この夜間撮影者は、世間からは警戒される立場にあるが、光るエロ本の販売機や放置自転車を真剣に捉えようとする意味不明な姿勢には、警戒心とはやや別の感情を持たれるようだ。
それがどんな感情かは知らないが、恥ずかしいのはこちらのほうである。

超ワイドレンズの6×6判にまっすぐの日の丸構図。これは主題をドラマチックにみせる組み合わせで、周辺が落ちて雲が流れていればより申し分無い。ちなみにこの仮設便所、夏はサウナのように暑い。
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2005年11月 5日 (土)

浪速区日本橋東2

日本橋の電気屋街。
現在では、完全にオタク街になってしまった。わたしも週一度はでかけて、中古デジカメやPCパーツをさがしたりする。
もともとホームレスの多い街だったが、となりの西成区、天王寺区とあわせて、日本一の多さだろう。犬を飼っているホームレスが多いのは不思議だが、就寝中にシノギ(路上強盗)に遭わないためと聞いた。ホームレスから一体何を奪うのだろうか。

この犬の名前は聞いたのだが忘れてしまった。この後、この犬の主人である老人は、栄養失調とアル中で倒れ入院した。食べ物を買いなさいとお金を渡しても焼酎を買ってくるのだから仕方ない。犬は二千五百円で売ったという。
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2005年11月 3日 (木)

浪速区下寺

南日東住宅。
昭和6年に建てられた鉄筋コンクリートの公営集合住宅で、北日東住宅、下寺住宅とあわせて、「軍艦アパート」とも呼ばれる。
大阪大空襲にも耐えた建物で、戦災もしくはその後の火事による焼けこげが各所にある。特徴は、「出し屋」とよばれる増築で、無秩序さを超えた造形美さえ感じる。

現在残るのは、下寺住宅のみ。ここを写真に撮る人は数多くいるが、夜景を撮ってまわる馬鹿は他にあったことはない。
あす、久しぶりに覗いてみようと思う。
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2005年11月 1日 (火)

浪速区日本橋東

日本橋の電気屋街の裏手となるこの辺りは、かなりよく撮り歩いた。
有名な軍艦アパートはもちろん、以前は木造平屋の市営住宅などもあって、良くいえば下町情緒のあふれる地域だった。近年それらの再開発、高層化がすすみ、その風景もなくなりつつある。
終戦後に建てられたと思われるバラック造りの小さな家。ほんとに一間しかないその家から、赤暗い明かりが漏れていた。路地の隅にカメラを構え、後ろの駐車場のスレートも写し込む。

数週間後、再撮影に訪れると、その家は跡形もなく取り壊されていた。仕方なく残されたポジフィルムをスキャンしてみる。玄関から漏れる暗い光は、意外に鮮やかなものだった。
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2005年10月25日 (火)

東大阪市XXX

夜の光は、何でもない風景を異空間のように魅せてしまうが、その光や色にばかりとらわれていると、すぐに飽きてしまう。それでも長年撮り歩いていると、本当に「異空間」に出会ったと思うときがある。

地下鉄の駅を上がり、国道沿いを北へ歩く。日が暮れてから終電終バスまで、早足の撮影だ。ホテル街を抜けると、スプロール開発された田園風景が広がっていた。
この場所を撮影してのち、わたしは「異空間」に出会った。
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東大阪市XXX2

わたしにとって、印象深い場所のひとつだ。
田園と古い集落、新興住宅街が交錯した場所。もはや郊外とは呼べない場所で、その異空間を発見した。様々な要素が、その舞台装置を組上げている。そこでは、車止めのU字パイプまでが演技者のごとく振る舞う。

わたしはカメラを低く据え、興奮気味に、そしてなにかに感謝しながらシャッターを開いた。その空気を切り裂くように、通勤帰りの自転車が横切った。
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2005年10月24日 (月)

摂津市XXX2

モノレールの駅からしばらく歩くと、さみしい電話ボックスに出会った。
それは潰れたパチンコ屋の敷地内にあるのだが、手前の水路には、その電話ボックスに渡るためだけの板が渡してある。露出を測るためにそっと渡ってみる。にわかに風が吹き始め、のぼり看板がはためく。

わたしの場合、銀塩での撮影だとシャドー基準で一枚、そしてひとつ絞って一枚、それだけ。露光時間は十数分に及ぶこともあるからだ。
その日も、終電ぎりぎりだった。