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2007年12月29日 (土)

西成の街頭テレビ

これも二年前の秋、最初の頃のデジタル撮影だ。

西成の愛隣地区とよばれるドヤ(簡易宿舎)街は、全国最大の「寄せ場」を中心として発達したものだ。日雇い労働者を目当てにした飲食店や遊興場も立ち並び、周辺の市街地とはかなり違った様相をみせる。その昔は、幾度も「暴動」が起きて世間を騒がせた。この日雇い労働者達という流動的な労働人口は、かつての日本の低い失業率という名目を、裏で支えたのであった。

しかし、景気の影響をもろにうけながらも、一日やったらやめられない稼業なのだそうである。日雇い雇用保険というものもあり、直前二ヶ月で26日以上認定業者で働いて、26枚以上の印紙を受給手帳に張り込んであれば、仕事のない日に手帳を持って職安に行けば、印紙の数に応じて日額4100〜7500円もらえるのである。当然不正受給も横行していたが、現在は規定の数の印紙を集めるのもままならなくなったことだろう。

ここ数年、かつての簡易宿舎の多くは、ビジネスマンや旅行者向けのホテルや福祉マンションに変わってしまった。仕事が減った影響も大きいが、西成の労働者人口の高齢化が主な原因となっている。無条件に福祉を受けられるのは65歳以上であり、仕事もなく認定もとれない中高年は、ドヤを出て野宿するしかない。シェルターもあるが嫌う人も多い。

かくして炊き出しに並ぶ長蛇の列や公園のブルーシートハウスは、この街の情景となった。ホームレスという言葉もない時代からそれらはいわば不可視な存在としてこの街にあったが、やがて溢れるように可視化していったのである。ホームレスは一時期よりは減ったと言われるが、大阪府下のその数はいぜん全国一であろう。

三角公園の街頭テレビでプロ野球日本シリーズを観る人々。かつて日本中でみられた懐かしい光景だ。後方の建物は電車道のあとに建てられたシェルター。この公園では、この撮影の数ヶ月前に小学生がホームレスに刺される事件が起きている。
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2007年12月22日 (土)

NICE NIGHT FOR A WALK 2

「サヨナラ軍艦アパート」と同じ手法で撮り始めた、前作「NICE NIGHT FOR A WALK」の続編。

このイルミネーションハウスは、もう二年前の撮影になるのだが、撮影機材を銀塩のハッセルからデジタル一眼レフに替えた時期の作品である。その時期は銀塩とデジタルの断絶に悩みながらも、色調を近づけたり、露出ブラケットしてコンポジットしたりして、その溝を埋めようと試行錯誤していた。この作品もスクエアにトリミングしても良いようにフレーミングして撮ったものだ。

同じ時期に、夜の軍艦アパートというデジタル表現にぴったりのテーマを見つけたのは幸いだった。大型プリントによる展示を念頭に、わずか数ヶ月でまとめあげることができた。それをニコンサロンとアサヒカメラに持ち込み、運良く個展開催へとこぎ着けたのであった。

さていったん棚上げとなった前作の続編であるが、銀塩の作品もふくめて見直そうと思う。しかし、6×6で撮られた前作は、どんなにがんばってスキャンしても、もはや現状のデジタルの高精細画質に太刀打ちできそうにない。結局は、デジタルで撮り直しせざるを得ないようだ。
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2007年12月 2日 (日)

軍艦アパート未発表作10

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「7号棟から8号棟を望む」

軍艦アパートの特徴である出し屋は、古い年代に作られたと思われる色あせた物件をみると、ある程度の規格性が感じられたから、手作りではなく正式な大工仕事だったと思われる。

とくに大きく張り出した出し屋は、一階が二階を、二階が三階を支えるような構造になっていたりするが、そういう力学的な法則を無視した大胆な出し家もあって、大阪弁なら「これ、ええかいな?」と叫んでしまいそうになる。

しかし、たいていの出し屋はこじんまりとささやかで、ひとことで言うと「かわいらしい」。このかわいらしい一戸一戸に灯りが点り、たくさんの家族がわいわいと暮らしていた頃を思うと、なぜだかほほえましい。

奥に煌煌とみえるマンションの清潔なたたずまいは、あまりにも対照的だが、昔ほどの子だくさんは減ったとはいえ、いまも変わらぬ営みの場所である。

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