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2007年10月26日 (金)

軍艦アパート未発表作7

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「7、8号棟間の通路」

この隙間は、本来あるていどの広さがあったのが、両側からの建て増しで人ひとりが通り抜けるのがやっとの通路になってしまっていた。この奥には袋状の空間があり、お気に入りの撮影ポイントのひとつだった。

じつは、お気に入りというよりもとくに撮影に難儀した場所だった。その空間に面してある家族の居間の窓があるため、そこに佇んでいるとまるでノゾキみたいにみえる。しかもカメラまで手にしているのだ。

しかたなしに、息を殺してそっとカメラを三脚に据え撮影を始めるのだが、そんなときにかぎって、いつもそれは始まる。幼い姉弟のささいなけんかにはじまり、それを罵倒する母親、やがてそれはなぜか母親と祖母のけんかに発展する。その怒号は、表通りにまで響いているのだが、そんなことはいっこうにお構いなしだ。

たまらないのは窓の外の私である。あるときなどは、さすがに止めに入ろうかと思ったくらいであった。やがてそのお騒がせ家族も引っ越してしまったが、窓からもれる灯りや喧噪も途絶えると、とたんにその魅力ある空間も色褪せてしまった。

私の記憶の中には今も、餅を食べられてしまい泣く弟への、おもしろくもかなしい母親の罵声が響く。
「こらあー、おまえもなー、餅食うたことない子みたいに泣くなー!!」

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2007年10月12日 (金)

軍艦アパート未発表作6

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「4号棟屋上」

2006年の1月初旬、下寺住宅の住民は、近所に建った新築の市営住宅への引っ越しを開始した。

1月中にほとんどの部屋が引っ越すものだと思っていたら、名残惜しいのか、2月にはいってもずいぶんと部屋の灯りが残っている。よく観察していると、夜間でも、台車に荷物をのせた住人が下寺住宅と新築住宅のあいだ数百メートルを行き来している。

ようするに、とてもゆっくりした引っ越しだったのだ。この期間は家が二軒あるようなもので、必要品と不要品を新旧の家に振り分け、空いた部屋に寝ればいい。かくして下寺住宅内は、徐々にゴミの山と化していった。

3月にはいると、さすがに灯りの数もわずかになった。記憶が正しければ、3月8日が下寺住宅に出入りできる最後の日だった。この日の夕方、7号棟の元商店だった部屋の扉が少し開いていた。中を伺うと、おばあさんがひとり佇んでいる。わたしは、部屋の撮影を申し出ることをやめ、そっとその場を離れた。

暗くなって、その部屋の前を通ると、もう開かれることのない扉には、しっかりと鍵が掛けられていた。

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2007年10月 1日 (月)

軍艦アパート未発表作5

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「8号棟屋上」

下寺住宅各棟で、屋上の有り様が違っていた。イナバ物置やバラック建て増しが乱立したところもあれば、きれいに整頓されたところ、引っ越しゴミに埋もれたところもあった。

この8号棟は、いちばん緑が多かったように思える。プランターからはみ出た植物は古くなったコンクリートに根を下していた。屋根の浸食面を糊塗したコールタールはひび割れ、夜の光に木炭画のような艶やかさを見せていた。

そういうデティールに宿る深遠さに後ろ髪をひかれながら、先に資料性のある写真を撮るのが精一杯だった。もっと時間があればと今更ながらに悔やまれる。いや、時間はあったはずだ。何年、何ヶ月も。

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