軍艦アパート未発表作4
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「8号棟北面」
スラム地区にこつ然と建った鉄筋3階建ての市営住宅には当初、この地区の人々が入居した。
今からみれば、すごく狭くて内風呂すらない団地だが、イタリア人が設計したという集合住宅は革新的で、電気・ガス・水道はもちろん、水洗便所やダストシュートをそなえていた。ただし、これまでスラムで暮らしていた住人には、その使い方がよくわからない。
おそらくは、まともなインフラもなく、井戸水などを汲んで炭や薪で湯を湧かしていた人たちである。とくにガスの利便性には目を見張ったに違いない。どんどん消費したあげく、翌月の支払いに目を剥いたという。用便の度に水を流さねばならないのはもったいないし、ダストシュートは、たちまち生ゴミが詰まって悪臭を放った。幸い、ガスを使わなくてもカマドで焚き付けることができたが、白亜の建物は、またたくまに煤けていった。
初期の段階で、「近代生活」に馴染めない人たちがかなり退居していったようだ。しかし、まもなく始まった大東亜戦争の末期、空襲によって焦土と化した市街で、鉄筋コンクリートの軍艦アパートはなんとか焼け残った。住人の命や家財を守るという、もっとも大切な役目を果たしたのである。
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軍艦アパートに出会ったのは、かれこれ20年近く前になるかもしれないが、写真に撮り始めたのはもっと後で、10年くらい前からだったと思う。その頃のカメラはライカM4の黒塗りとミノルタSR-1sという、通好みの組み合わせだったように覚えている。いろんなフィルムやレンズをとっかえひっかえ、週末の「試し撮り」は続いていた。その頃からまじめにちゃんと撮っていたら、ひとかどの写真家になったかもしれない。
そんな「試し撮り」でも、ときには気にいった写真が撮れることもあった。そんな写真を並べてみると、みーんな縦位置ばかり。それはどういうことなのか、狭い路地裏ばかり撮っているからなのか、考えてみてもわからなかった。中平卓馬でもその謎には答えられないのではないか。そうこうしているうちに、ハッセルブラッド方面に移行してしまったので、その問題は棚上げとなっていた。
デジタルカメラに持ち変えて、また35mm方面に回帰してみたら、ぴたっと「縦位置病」は解決していた。これは、ハッセルのスクエアフォーマットの経験のなせるわざなのであろうか、路地裏ばかり撮るのをやめたせいであろうか、いまでに謎である。でも、ひそかに「縦位置シリーズ」の続編を撮ろうと画策していることは秘密である。
追記
いま、写真展やってます。くわしくはDiaryで。
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