« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »

2006年4月30日 (日)

個展開催決定

昨日ずいぶん弱気なことを書いたが、おかげさまで新作の個展が決定した。
ここ数ヶ月で下寺住宅を撮りおろしたものを、ニコンサロンの審査に送っておいたものだ。
詳細は追って掲示したい。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2006年4月28日 (金)

大阪市中央区

このブログは、見ての通りdiaryではなくて、回想やつぶやき、そして添えられた写真の解説である。
その目的は、自分の写真がweb上でどのように映るかという興味と、自分の写真に対して客観性を持つためである。
個展向けの作品というのは、普通、数年を費やして歩き、何千回とシャッターを押し、そこから数百枚のプリントを得る。そしてその数百枚から四〜五十枚に絞り込む。
この、各過程で客観性が求められるが、いいかげん疲れてきてしまった。
前回の個展以降、次回作を撮り続けてきたが、まとまらないまま今日に至っている。結局このブログはその残滓のようなものかもしれない。

このホームレス男性に出会った瞬間、感動して、写真を撮らずにはいられなかった。
失礼のないよう、力を尽くして撮った。
その容貌はチベットの高僧のようだ。
060428

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月17日 (月)

大阪市北区中津

ここ数ヶ月は、軍艦アパート(下寺アパート)という築75年の大型物件に取り組んでいたのでお疲れ気味である。
しかし、まだまだ撮りきれていないという後悔がある。その未練たらしい感情は、廃墟となって立ち入れないものの、それがまだそこに、相変わらず存在するという苛立ちからくるものだ。
とはいえそういう後悔が次のテーマへと向かわせる。撮影機材は、ここ数ヶ月で大きく変わったが、その方法論はより強固に、そして柔軟に変化した。その成果は近々発表できると思う。

梅田から北へ歩くと、意外に静かな住宅街とさみしい河川敷にたどりついた。
写真に撮るようなものはなにもないが、土手の上をとぼとぼ歩いて高層住宅群を望む位置に至る。
三脚とカメラをセットし、ゴッセンのメーターにマグライトをかざして喝を入れてから露出を測る。
マガジンスライドを抜くが早いか、レリーズを押す。数十秒間の噛み締めるような刹那、フィルム乳剤面の光像を透視するがごとく思いを込める。
これは、デジタルカメラになっても変わらない流儀だ。
060417

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年4月12日 (水)

茨木市学園南町

ずっと以前は、ライカなどを首からさげ、トマソン的物件やら下町路地裏を縦位置で切り取っていた。
なぜ縦位置かというと、35mm判のアスペクト比(2:3)の、横位置での座りの悪さが我慢ならなかったからである。
しかし、横位置で撮るべきものも縦位置で切り取った。それは、なにか形而上学的な空間理解が反映された行為であるような雰囲気を漂わせたが、当の本人が哲学を語れないため、縦も横もないスクエアフォーマット(6×6判)に逃げることにした(笑)。
スクエア画面の求心性は強力である。ともするといわゆる日の丸構図となるが、これを避けようとするととても難しい。悩んだあげく撮った写真を人に見せて、「これ、6×4.5のほうがよかったんじゃないの?」といわれて激怒する羽目となる(笑)。

茨木市内の遅々として進まない橋梁工事。コンクリートの橋脚が連続する様子は、まるでミニマルアートのようだ。
日本全国の、人間より狐狸のほうが多いような地域にもこのようなコンクリートのマッスが乱立し、放置されていることもあると聞く。それを、いつか撮って歩きたい。
060412

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 1日 (土)

茨木市東奈良(2)

仕事では考古遺物や古美術品などを撮影することがある。
それらは、長年地中に埋まっていたものや、倉の中に大事にしまい込まれていたものが多いが、一様に感じることは、そのエイジングの進み方と実際の経年におどろくほど差があるようにみえることだ。
地中から姿を現した遺物は、千年を経ながらも、つい先ほどまで使われていたような輝きを保っていることがある。それに比べ、75年しか経ていないRC住宅の表面のほうが古くみえるのはなぜだろうか。

夜の遺跡というのは、基本的に立ち入りできないから、それを撮影することは難しい。それに普通は保護シートに覆われているはずである。
石灰で縁取られた遺構は白く輝き、アースワークめいた印象をうける。というよりこれは調査担当者のセンスが問われる土の作品そのものなのである。
遺跡の上に建てられた安普請のマンション。その存続期間は、遺跡と比べたら一瞬のきらめきのような儚いものだろう。儚きもの、せめて写真にとどめよう。
060331

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »