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2006年1月28日 (土)

堺市七道東町

その光景は、どこで刷り込まれたものなのだろう。
時々フラッシュバックのように去来した強いイメージだった。それはどこにでもあるような普遍的な光景なのだが、なかなかみつからなかった。
わたしは映画などのメディアからイメージを獲得することが多いが、それは既知の光景と無意識に摺り合わせて、予定調和的にイメージを選択しているようだ。
少年時代のように、見たこともない光景に胸をときめかすことはできないのか。

阪堺線という路面電車は、まるで浅草花屋敷のジェットコースターにのっているかのような楽しさがある。大阪市内で何度か利用したことがあったが、あるとき、終点まで乗ってみようと思った。
そして電車が大和川にさしかかり、向こう岸の駅に到着しようとした時だ。
その光景は現出した。合掌。
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2006年1月25日 (水)

大阪市中央区南久宝寺町

あれは、高校生二年生くらいの頃だった。
梅田のデパートで有名写真家の写真展があり、買ってもらったばかりのニコンを手に、そのサイン会に参加したことがある。もちろん、その図録くらいは買わねばならない。
当時わたしは、写真家というのはデパートで写真展をやって稼いでいる人だと思っていたふしがある。その頃、写真ギャラリーはカメラメーカーのサロンくらいしかなく、しかもそれはとても敷居が高かった。
そのころニコンのボディを買うと付属していた「ニコンの世界」という本を眺めては、第一線で活躍していた写真家の仕事に憧れた。
いまは、写真家を志す人にとってはいい環境になった。その表現も発表手段も自由だ。なんていっても写真を専門に扱ってくれるギャラリーがたくさんできたのがうれしい。

大阪市のど真ん中、古いビルの屋上にあるBeats-Gallery(ビーツギャラリー)は、写真馬鹿が集う、体育会系写真ギャラリーだ。
大抵のギャラリーでは、お褒めの言葉しか聞こえない。それは、自分のときにお返しがほしいからである。まるでカラオケの拍手みたいなものだ。
しかし、どんなベテランもここで個展をやるのは、コワい。ここでは写真は格闘技なのである。

ビーツは、残念ながらいまは休廊中。春にはあたらしい展開をみせてくれると思う。
こんな屋上にあるギャラリー、じつは、別の意味でも怖い。
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2006年1月21日 (土)

摂津市南別府

夜の撮影というのは、怖い。
夜歩きそのものが、最近は危険なことである。しかし、本当に怖いのは、フィルムに得体の知れないものが写っていたときだ。
鶴橋の駅からしばらく歩いたアーケードに面して商店の廃屋があった。その窓ガラスに、相当年季の入った造花が飾ってあって、造花なのに枯れ花のような美しさがあった。ここはヤバいな、と思いつつ、何度か通ったが、一度、樽井くんを連れて行ったことがあった。案の定、樽井くんのカメラが壊れた。そこでカメラが壊れるというのは、怪奇心霊スポットでのお約束である。
後日、またひとりで訪れた。わたしのハッセルは壊れることはなかったが、ファインダーを覗いていると窓ガラスの向こうを腰の曲がった老婆がふっと通り過ぎた。で、で、でたっー!!。
ようするに廃屋ではなくてバアさんが住んでいたのであった。
ここまでなら笑い話で終わるのだが、問題は写した写真である。
それは公開できない。なぜなら・・・。

街外れの市営墓地。墓場だから怖いというわけではないが、ここはほんとに怖かった。恐怖に打ち勝って撮れた六地蔵と変電所の構図は、われながら完璧と言っておこう。
しかし、なんでこんなとこ撮ったのだろうか。
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2006年1月18日 (水)

大阪市西区江之子島

関西では、怖い、汚い、下賤な、など言う意味で「ややこしい」という言葉をよくつかう。
以前は、その「ややこしい」場所を好んで撮影してきた。その取材姿勢は、時には喧嘩腰となる。なぜなら向こうもそうだからである。喧嘩はよくした。
わたしのカメラは、その操作法が本来的な意味でややこしいので、ややこしい場所の撮影には向かないが、ややこしい場所をややこしいカメラで撮ることは普通はしないことなので、本当にややこしいのは撮影者本人なのである。

この場所での撮影は、後輩の樽井くんがついてくるといったので来てもらった。めったに人物はとらないが、一分間じっとしているという約束で撮ってあげた。
ここを撮影した理由は、ややこしいので書かない。
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2006年1月14日 (土)

大阪市中央区日本橋

ずいぶん前から、週末になると梅田から心斎橋、難波、そして日本橋の電気屋街を巡っている。
中古カメラ店、写真ギャラリー、PCパーツ屋などを覗きながら、知り合いに出会ったり、被写体を発見したり、たのしいひとときである。
とはいえ、カメラバックと三脚を持ち歩きながら、一枚も撮れない日が多い。
わたしは写真を撮るのが好きかと問われれば、どうもそうでもないらしい。だから、のべつくまなくパチャパチャやっている人をみると、「そんなにおもしろいかい?」と聞きたくなる。
作品の方法論として、無意識や偶然に切り込んでいくやり方はあると思うが、残念ながらそういう才能は持ち合わせていない。

わたしは画面構成至上主義である。「うつくしい」と思える事物の配置に出会わないと、写欲が湧かない。
「うつくしい」ものには、何んらかの精神性が宿っている。
しかし、その芳香はこつ然と漂い、消え去ってしまう。
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2006年1月 9日 (月)

大山崎町円明寺

数年前、大山崎駅から建設中の大山崎ジャンクションを目指して何度も歩いた。
畿内摂津の国と山城の国の境であり、現在の県境でもあるこのあたりは、夜は天王山から雲が垂れてきて大抵雨に降られた。
国道171号線と新幹線の交差からしばらく歩くと、工事用照明に照らされたコンクリートの巨大なマッスが乱立する建設現場が見えてくるが、その直前にもうひとつ異様なランドマークを発見した。ナトリウムランプに照らされたその広告塔は、その先の光景とも相まってなにか仕掛けられた意図すら感じるが、これは単に板金屋さんの看板なのである。

薄よごれたプレハブの屋上に置かれたガルウイングのスポーツカーは、飛べない翼を嘆く鳥のようだ。
飛べない鳥が目指す天空は、今夜も晴れることがないだろう。
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2006年1月 5日 (木)

大阪市中央区千日前

千日前というのはその昔、千日墓地や焼き場、刑場があった場所だ。
1972年に118名の焼死者を出した火災のあった旧千日デパートは、いまはビックカメラになっている。
ビックカメラの近くにある三津寺の墓地は、長らくレンガ造りの高い塀で囲まれていた。
レンガ塀は一面にラブホテルなどの看板が貼られ、放置自転車の溜まり場だったから、それと気付かなかったが、2000年のある日、塀の解体を前にして、看板類がすべてはぎ取られていた。
そして現れたレンガ塀をみてわたしは驚愕した。
レンガに塗られたモルタルの上に、数十年前のものであろう、芝居小屋かなにかの大型絵看板が現れたのである。残念ながら解読不能な程に朽ち果ててはいたが、泣けてくるような美しさがあった。都市の隙間に棲む幽霊を見た気がした。

現在の三津寺墓地は、ピカピカのステンレス製の諸仏が守っている。だからそこに自転車を放置する不心得者はいなくなったかというと、反対側に移動しただけだ。
自転車をどけて三脚をたてる。人の流れが途絶え、線香が煙るのをまってシャッターを開けた。
塀の上から覗くパチンコの看板と、薬師如来に反射するテールランプは計算づくであるのはいうまでもない。
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2006年1月 3日 (火)

茨木市東奈良

昨年、10日ほど手術入院した。
術後、痛みがやわらぐと持ち込んでいた大量のポジの整理をした。ラボ袋にはいったままのスリーブを、ライトボックスでチェックしては時系列に番号をふっていく。
大切な写真が何コマもあるスリーブもあれば、クソみたいなコマばかりのスリーブもある。玉石混交のスリーブもある。
わたしはハサミを入れることはしない。ハサミを入れるときは、それを捨てるときだ。
病院には持参したポジの半分を捨ててきた。切除した胆嚢と一緒に。
もしかすると捨ててきた方が大切な写真だったかもしれない。
しかし、そのとりかえしのつかないものへの思いが、明日の写真へと向かわせる。

オレンジ色のナトリウムライトに照らされた区画整理地区は、まるで火星表面のようだ。
そして、ペンペン草よりも早く、マンションが立ち上がっていく。
赤い地面にカメラを据え、そそり立つ鉄骨が雲塊をとらえるのを待ち、シャッターを開く。
しかし、夜の雲は饒舌すぎる。
060103

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