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2005年11月29日 (火)

北区中崎西

出掛けるときは、いつもカメラは持ち歩くようにしている。
使い古しのA&Aの布バッグにデジタル一眼レフとシフトレンズ。以前はこれがHasselblad ArcBodyという小型のテクニカルカメラだった。もちろんカーボン三脚は必須である。
機材フェチなのはいうまでもなく、さらにそれを機能的に改造するのが好きだ。家には小型旋盤、フライスもある、といえば、お解りだろう。

梅田からJRの高架沿いを北へ歩くと、空襲を免れた古い住宅街がひろがっている。以前は下町情緒あふれる雰囲気だったが、戦前の長屋などを改装したおしゃれなカフェやブティックもたくさんできている。
他人様の玄関を撮るのは不躾だが、家人が見当たらないのでそっと撮らせてもらった。
腐った板張りから覗く土壁が素敵だ。どうかこのままにしておいてほしい。
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2005年11月25日 (金)

門真市古川2

その後「鉄塔の街」には何回も通った。
ちょうど古川の改修工事があって、行くたびに風景が変わって見えた。
写真でみると、広々としていて一級河川並みにみえるが、もとはどぶ川である。
子供の頃、こういうどぶ川に小舟が浮かび、ゴム長をはいたおっちゃんをよく見かけた。
川底の金属くずなどを拾う職業の人たちで、河童が語源の「河太郎(がたろ)」とよばれていた。
大人たちは、あきらかにさげずんでそう呼んでいた。

この撮影は怖かった。台風の日、川に渡してある幅数十センチの鉄板の上から撮った。なぜそんな日に撮影したかといえば、雲の描写。夜景でこういう雲は、台風の時しか撮れないからだ。
この写真は、ニコンサロンのDMにも使った。
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2005年11月21日 (月)

門真市古川

住宅街の真ん中に大きな変電所がある。
それを取り巻く鉄塔の数はいくつだろうか。
その昔は、レンコン畑と田んぼばかりだったと聞いているので、あとから住宅街に囲まれてしまったようだ。
子供の頃、遊びに来たことがあったが、怪談話にでてきそうな場所だったことだけを覚えている。

何十年かぶりに「鉄塔の街」を訪れた。悩みに悩んで構図を決定する。帰りの時間を気にしながらシャッターを開けると、次から次へと車のライトが飛び込んでくる。夜景撮影で一番イライラする状況だ。
あがったポジをみると、光跡もわるくはなかった。いや、あったほうがよかったかな。
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2005年11月17日 (木)

西成区天下茶屋東

戦前に建てられたアパートは、戦後の安普請と違い、しっかりした造りで、まだまだ生き残っている。
玄関で靴を脱ぎ、ぎしぎし鳴る廊下の先に部屋がある。風呂なんかもちろんないから、近くにかならず銭湯がある。住んでいるのはほとんど老人で、これを撮影しようと思うと、長い話の相手も覚悟しなくてはならない。
築年数が長いので、大抵は無粋なリフォームがおこなわれており、文化財級のみごとな建築が見るも無惨となっている場合が多い。

大谷墓地に至る坂道に建つこのアパートは、オリジナルの状態を保つ、数少ない物件だ。
しかし、このマルフクの看板、ここぞという場所にかならず貼ってある。
写真家にとって敵のひとつだ。
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2005年11月14日 (月)

尼崎市センタープール

阪神大震災のときは大変だった。
家の方は、少し停電があっただけでたいしたことはなく、あとはテレビのニュースに釘付けになっていたけれど、しばらくして友人から救助を求める電話がかかってきた。
芦屋市まで普段ならバイクで2時間くらいの道のりだ。しかし、朝出発して着いたのは夕方だった。
途中の道のりは想像を絶するものだった。人間は興奮状態にあると、空腹も時間の経過も感じなくなる。
友人を後ろに乗せての帰り道、前方に大きな満月があがった。電力の途絶えた街で、それはひときわ大きくうつくしかった。

かつての被災地を撮り歩くのは、なぜか気が引けてしまうが、尼崎市のこのあたりは、地震の被害は意外にすくなかったようだ。
しかしこの建物、よく耐えたものである。
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2005年11月12日 (土)

東大阪市長瀬

小さい頃は母親と銭湯に通っていた。
京阪萱島駅前の、パチンコ屋のとなりに銭湯があった。映画に出てきそうな風格のある造りではなく、モルタル造りの素っ気ない建物だったように記憶している。
風呂からあがると、父親が隣のパチンコ屋にいないか覗いた。勝っている日は、なにかしらの景品と交換してくれるからだ。

近畿大学の最寄りの駅をおりると、風呂屋の煙突が目についた。初めての場所を撮影するときの目標となるランドマークだ。建物の裏手を覗くと、ちょうどボイラー屋さんが訪れていた。私がカメラを向けると、わざわざ建物の中に引き入れてくれた。ありがたい。普段撮れない構図で写真が撮れた。
光る扉は実は便所だ。うつくしい。
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2005年11月 8日 (火)

浪速区日本橋

これまで、どちらかというと世間の人はカメラを向けないだろうなというものをよく撮ってきた。
この夜間撮影者は、世間からは警戒される立場にあるが、光るエロ本の販売機や放置自転車を真剣に捉えようとする意味不明な姿勢には、警戒心とはやや別の感情を持たれるようだ。
それがどんな感情かは知らないが、恥ずかしいのはこちらのほうである。

超ワイドレンズの6×6判にまっすぐの日の丸構図。これは主題をドラマチックにみせる組み合わせで、周辺が落ちて雲が流れていればより申し分無い。ちなみにこの仮設便所、夏はサウナのように暑い。
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2005年11月 5日 (土)

浪速区日本橋東2

日本橋の電気屋街。
現在では、完全にオタク街になってしまった。わたしも週一度はでかけて、中古デジカメやPCパーツをさがしたりする。
もともとホームレスの多い街だったが、となりの西成区、天王寺区とあわせて、日本一の多さだろう。犬を飼っているホームレスが多いのは不思議だが、就寝中にシノギ(路上強盗)に遭わないためと聞いた。ホームレスから一体何を奪うのだろうか。

この犬の名前は聞いたのだが忘れてしまった。この後、この犬の主人である老人は、栄養失調とアル中で倒れ入院した。食べ物を買いなさいとお金を渡しても焼酎を買ってくるのだから仕方ない。犬は二千五百円で売ったという。
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2005年11月 3日 (木)

浪速区下寺

南日東住宅。
昭和6年に建てられた鉄筋コンクリートの公営集合住宅で、北日東住宅、下寺住宅とあわせて、「軍艦アパート」とも呼ばれる。
大阪大空襲にも耐えた建物で、戦災もしくはその後の火事による焼けこげが各所にある。特徴は、「出し屋」とよばれる増築で、無秩序さを超えた造形美さえ感じる。

現在残るのは、下寺住宅のみ。ここを写真に撮る人は数多くいるが、夜景を撮ってまわる馬鹿は他にあったことはない。
あす、久しぶりに覗いてみようと思う。
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2005年11月 1日 (火)

浪速区日本橋東

日本橋の電気屋街の裏手となるこの辺りは、かなりよく撮り歩いた。
有名な軍艦アパートはもちろん、以前は木造平屋の市営住宅などもあって、良くいえば下町情緒のあふれる地域だった。近年それらの再開発、高層化がすすみ、その風景もなくなりつつある。
終戦後に建てられたと思われるバラック造りの小さな家。ほんとに一間しかないその家から、赤暗い明かりが漏れていた。路地の隅にカメラを構え、後ろの駐車場のスレートも写し込む。

数週間後、再撮影に訪れると、その家は跡形もなく取り壊されていた。仕方なく残されたポジフィルムをスキャンしてみる。玄関から漏れる暗い光は、意外に鮮やかなものだった。
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